世界を駆け巡るgakuのBlog Paddy gaku go around world -6ページ目

Kathmandu

11月10日

旅にでてから238日目


今日
NEPAL製の財布を2つ買った。

朝からタンメン、クロワッサン
夜はチャオ面(ネパールやきそば)を食らう

サングラスも昼用、夜用2つ購入。

バックパックも近いうち買うだろう。
(ほとんど偽もんだけど)

買い物三昧のカトマン生活である。


それと、コーラとアイスクリームがめちゃくちゃうまい
所でもある。

お香も安い!

ちなみに奇麗なホテルに泊まっているのに
カトマンきてからお風呂に入っていません。(くすん)

Kathamndo

11月5日


思い返してみると

この旅で一番辛かった10日間の旅


ラサ~エベレスト~ヒマラヤ越~カトマン


さっき

無事にネパール・カトマンドゥに辿り着き

日本料理屋・古里にて腹ごしらえをし

これから宿探しする予定です。


くたくたなので

詳細は後日


とりあえず

カトマンドゥ到着報告まで。。。




シガツェ~

10月29日


シガツェに着いた前日は

ゴンパ(寺)巡礼後

ブログ更新等

インターネットに26時頃まで費やしたため

11時過ぎになって起きはじめる


この先ネパール方面へのバスは無いらしい

(というのは僕の勘違いで、ラツェまでは出ていた)

どうやって行こうか、正直迷った。考えた。


考えていても前には進めないので

とりあえず、歩く事にした。

(この判断が、この旅一番に辛く。

そして、

終わってみれば、楽しいものになった)


シガツェのまちの外れまで来ると

ゲートがありその先には「道」だけがあった。

目指すのはネパールだけど

ラツェまで150Kmとの看板が

その前に、立ちはだかっていた。


この日進めたのは

ラツェまで約半分くらいのところ。

途中、仕事場まで行くらしいバイクの兄ちゃんや

トラクターのおっちゃんが短距離だけど

乗せてくれた。


夕方になって

西の方から冷たい強い風が押し寄せてきた


民家や店が10軒あるかないかの

吉定という地名

聞いた事も無いが

今日はここに泊まるしかない


寒くて仕方が無い

飯も食べずに部屋に入ると布団に包まって

意識が無くなるのを待つだけだった


埃のかぶったベッドが4台あり

布団はどれも足臭かった。





HOW MANY DAYS STAYIN TIBET?

10月27日 ナイトライフ


最後のラサになるだろうと

昨日もいつものBARに出かけた。

いつも、前述のパト(パトリック)が誘ってくれる

彼はビールも飲まないしタバコも吸わない。

ただ、このBARで皆とビデオを見るのが

好きなのだろう



例の大理で会った女の子(凛・りんちゃん)にも

最後の挨拶をしようと思ったけど、

店に入ったときには不在だった。

代わりに

彼氏が慌しくオーダーに追われていた。

彼女の彼は背が高く男前で、そしてアフロである。


僕は一人BARに行く前、

ホテルでショップのお兄さんに

チベタン音楽をCDにコピーしてもらったため

ビデオのスタートにはちょっと遅れたようだ。


流れていたのはトムハンクスの「ターミナル」

自分の国が無くなってしまったために

ニューヨークの空港から出れなくなってしまい

そこで暮らし始めるという、実際の出来事に

基づいたストーリー。

でもなぜか字幕は「インディペンデンス・デイ」らしい

さすが、ちゃいな!


ソファに深く座りビデオを見ていると

どこからか彼女・凛ちゃんが

「TOYOTA、TOYOTA」と言いながら

やってきた。

「日本人の友達。トヨタ」と紹介してきた。

すぐ後ろには日本人の女の子が…


「こんにちは」


と僕が言うと

彼女に僕がどう映っていたのだろう


「あら、日本語うまいですね」

なんていう始末である。



まぁ、

中国人が中国で友達(僕のこと)です。と紹介したら

当然、友達(僕)は中国人と思うだろう。


仕方なく僕も中国人に成りすまし中国語で

「仕事できたんですか?」

と尋ねる。

"僕が日本人である"

と言うことを見破れなかった彼女には

それすらもチンプンカンプンだったらしく

凛ちゃんが英語で「ジャブ、ジャブ」

と言いなおす。(なんのこっちゃ?!)


後で、みんなで個室で話す頃には

やっと判ったらしく

「あたし、てっきり…」なんて



それはともかく

彼女たち一行は「撮影」で

西チベットに行っていたらしい。

定日(ティンリー)、E.B.C(エヴェレスト・ベース)

シガツェ~ラサ。


そして今日、このBARに来ていたのは

彼女を含めて

北京出身のディレクターらしき35歳男性と

ちょっとだけ日本語の話せる

ハルピン出身の33歳。の3人。


撮影は終わったらしく

それならもっと大勢のスタッフで

打ち上げに来そうなものだけど…


それに、

彼女の見かけはまぁまぁ見れるが

頭はそんなに切れるようには見えない。

英語も中国語も全くできない彼女に

果たして、どんな仕事ができようものか?




…ハゥッ!


またしても、ホームズが舞い降りてきた。


「彼女はAV女優!?」


うん。

間違いなさそう。


日本語のちょっと話せる彼が

AV男優。


二人は会話とはいえないような日本語を

並べに並べ、耳うちしながら楽しんでいる。


「かたい」だの

「あつい」だの

「この人すごい変態なの」だの


俺は

何故か一切の質問も彼女にしなかった


…おそらく、当たっているだろう。


「成長するビックチャイナマネーを

       体で吸収するAV女優」


そんなことを思いながら

夜は更けていった…


それは、それでいいのだ!


10月28日


そんなこんなで

今日も日付が変わってから

ホテルに帰ってきた。


午前2時


ホテルの入り口の頑丈なチベット門は

当然、ばっちりと閉ざされている。


門を叩いて当直のおっちゃんを起こす。


しばらくして、「ん~~、ん~~」
と言う声が門のすぐ裏まで近づいてきて

門が開き

ぶあつい股引(ももひき)姿のおっちゃんが現れる。

これで3夜連続。

(おっちゃんすまない!)

数時間後には

このおっちゃんが

起こしに来てくれるのである。


おやすみ、おっちゃん。

しばしの睡眠。


6時28分

ペンライトがドミ部屋に入ってくる前に

おっちゃんに気がついた。


昨夜のこととか明日のこととか

いろいろ考えながら眠りについたので

浅い眠りだったようだ。


しばらくして、もぞもぞと起きだし

荷物をまとめ部屋を出る。

ねむい。


7時前

ホテルの門はまだ閉まっている。

再びおっちゃんを起こし

股引姿で門を開けてもらう。

(最後までおっちゃん、すまない!)


シガツェ行きのバスは

ヤクホテルの前に4台ほど

マイクロバスが止まっていて

フロントガラスの行き先を確認し

一番新しそうなバスに乗り込んで待つ。

どうやら、予定どうりラサを出れそうだ。

ねむい。


しばらくすると公安の車がやってきて

慌(あわただ)しくなった。

路上バナナ売りは立ち去る。


公安が去った後、

運転手たちは輪になって話し込み

バスが出たのはそれから1時間後だった。


一路ラサから西へとバスはひた走る。

これまでのラサまでの道とは違い

高低差はほとんどないので

高速道路のように突っ走る。


それにしても、窓の外には

所々に、公安や緑色の制服を身にまとう

中国軍人の姿が見受けられる。


検問などが厳しいのだろうか?

(ラサとシガツェはチベットでも唯一パーミットなしでいられるが

移動の間にはパーミットが必要?)

とか、考えていると

ついに、1時間ほど走ったところで

小さな村の道端に立っていた公安に手招きされて

バスを停め、エンジンまで切ってしまった。


「あら、あら。検問じゃない!」


と、覚悟を決めたものの

公安や軍人はバスには近寄ってこないようだ。


用を足してから

車内で彼らの様子をうかがう


この付近にいるのは

棍棒を持った軍人2人と

男女公安1人づつ


公安は辺りをうろうろしたり

しゃがんだり二人でくっちゃべっていて、

軍人は棍棒を持った手を後ろに組んで

身動きひとつしなかった。


なんだか、訳が分らなかったが

あるタイミングで軍人2人がくるりと向きを変えて

道路を背中に立ち直したのを見て

バンコク、スクンビット道りの警察官を思い出した。


「要人通過のための、道路の安全確保」


である。

理由は判ったものの、面白いのは

お国の違いによる統制の取り方である。




"タイ渋滞王国。バンコク。スクンビット"


あの悪名高いスクンビットを

いざ、要人通過というときになると

あらゆるソイ(路地)の入り口に警察官が立ち

通過の直前になると車を停め

「あの」スクンビットからあらゆるものが無くなり

白バイ先導であっという間に要人一団が通過した後

何事も無かったかのように

また、車が溢れて戻ってくる。


パッと停めて、パッと通って、パッと戻る

と、見ていてとても気持ちがいいのである。




"中国。チベットのとある田舎の道。家畜も通る"


公安はぶらぶら、ダラダラくっちゃべり

タバコをふかしながら、何分後に来るかも分らない

その要人のために

(果たしてそれが要人かどうかも疑わしい)

手押し車の横断を大声で止める。

言うことの聞けない

やぎや羊や牛くんたちは

どうすれば良いんだろう?


まぁ、チベットには違和感のありすぎる

制服の姿があまりに多かったので

ちょっと、嫌な気分にさせられました。


ともあれ30分後。

面白いことに

マイクロバスを1台含む

全部「日本の!」ランドクルーザー29台一団が

猛スピードで通過していきましたとさ。



そして、眠たい僕のバスは

昼過ぎに無事シガツェに着いたのであった…




LHASA

10月27日


昨夜もBARへ繰り出したため

今日も14時近くになって目が覚めた


気がつくと僕より後にチェックインした女の子は

もう別の目的地に向かったのだろう

ベットはきれいにメークアップされた後であった。


さて、今日はミルクティーでもすすりながら

残り少ないラサの空気を満喫するとしよう


早ければ明日朝のバスで

シガツェへと向かう


SPENDTIME IN LHASA

10月25日


ラサには結構気に入られているようだ


ネパールビザを申請したのは良いものの

受け取り時間にはいつもタイミングが合わなく

申請から5日後の今日、ようやくパスポートが

手元に帰ってきた。


しかし、雲南で取得した中国ビザは

明日の26日までとなっていて

公安での申請は免れないものとなった。


更新したら、もう少しだけゆっくりしようかな。



大使館から帰ってくると

ヨーロピアンの女性が毛布に包まり

凍えていた。


どうやら、西チベットから

ヒッチしながらやってきて

夜はお寺に泊まらせてもらい

2週間シャワーを浴びれなく

さっきようやく浴びれた。とのこと


お湯の量の少ないこのホテルのシャワーは

日の傾き始めた後の時間では

いささか修行のような感じで浴びなければいけないのだ。


一度だけ日が暮れてから浴びた事があるが

ガタガタ震えて、その後何もする気が無くなった。

僕はいつも昼時、別のホテルのシャワーを借り済ませている。


彼女はテス。スウェーデンの北部出身。

一人で旅しており、話を聞くと結構つわものである。


食事でも…という話になり

パト、マスス、ティムの3人を加えて

近所のヤクホテルでご飯。


その後、ヤクのすぐ後ろにある

映画が観れるというbarへ


5人で店内に入ると女の子が僕に声を掛けてきた。

大理のBARで会った中国の女の子

僕ははっきりした記憶が無かったっけど

彼女は僕をことを覚えていた。


彼女はここで店のてつだいをしながら居候。

空間デザインかなんかしているようで

リビングデザインのイラストを見せてもらったら

写真のように美しかった。


彼女を通じていろんなお客さんと話しながら

なんやかんやで

あっという間に時間が過ぎていて、

そこを出たのが朝方4時だった。

そういえばお金払ってないなぁ、と思い返すと

飲み物は全部チベタンがグラスに注いでくれてたなと…


小腹が減ったので朝ごはんをと思い

道を歩くも、人っ子一人歩いていない

こんな時間に開いてる店もないかと諦めかけると


ありました!


「タクシードライバー」に出てくるような

寂れた飯屋が


入り口には文字どうりタクシーが止めてあって

カウンターのスタッフは上着を羽織って寝ていた。


周りを見渡すと

帰るとこがないのか満腹で眠くなったのか

客が一人テーブルでダメになっていた。


このダメな雰囲気が

どんよりした映画のようで心地いい。


朝から(寝る前なのに)ジャージャー面と

久し振りのきゅうりの漬物と青菜のおかゆ

腹いっぱい頂いた。



10月26日


ビザの切れる日


延長はしないで行こうと思っていたけど

止むを得ない。

ラサでの延長は難しいと聞いていたが

公安へ向かう

昨夜の夜遊びで今日は14時起きであった。


何処でやったらいいものかしばらく街をふらついたが

公安外事所なるところを見つける。

しかし、ここではないらしい

タクシーに乗って教えてもらったところへ向かう


16時半

ギリギリ間に合ったみたいで

何度か質問されたが1週間で構わない

と言うことで延長してくれた。

新しいビザの有効日を見ると

11月5日まで。

10日分延長してくれたことになる。


無事、ビザを更新。


SEVEN YEARS IN TIBET

10月23日


昨日ラサは雪が舞った。


空を見上げると突き抜けるように青い空。
それでもパラパラと落ちてくる、白い粉
風に乗って西のほうから押し流されてきたようだ。


ここ数日の間に、街は一気に冬の気配が増した


その前の夜に降った雨は、標高の高いところでは雪に変わり、

セラやパガンパ・ゴンパの裏山の頭を白く染めて、

ホテルのベンチからの眺めに花を咲かせてくれる。



10月24日


ホテル内にある中庭にあるショップで

デジカメのデータをCDに焼いてもらう。
風景の写真が圧倒的に多い。


そのショップの前は近所のチベタンの憩いの場所らしく、

昼間からビール飲んだりなんかしている。


飲んでるチベタンのオッチャン方を相手に

バスの中でよく流れていたあの歌を、

ショップの中にあるPCの曲をバックに流しながら歌った。


歌ってる最中、みんな黙ってこっちをじっと見つめている。
歌い終わると、ちゃんと拍手もくれる。
これはナカナカうけがいいみたいだ。


ショップの中のPCには日本人の曲も入っていて、

ハイスタンダードのアルバム2枚と、

なんか懐かしい尾崎豊の古いアルバムが入っていた。


「流していいよ」という言葉に甘えて「シェリー」を歌う。
一人でいろいろ思い出しながら歌っていたけど、

オッちゃんらこれも熱心に聴いてたなぁ…


今日のつれづれ…

ノルブリンカは

ラサの中心(まぁ、僕が泊まっている所という事だけど)から

西に5キロ程行ったところにある

ノルブ(宝) リンカ(広場) 

である

でも、名前しか聞いたことが無く

何があるのかは、知らない




散歩がてら、バスを使わず歩いていった

もっとも、何番のバスに乗ればいいのか

知らなかっただけなんだけど。。。



部屋にあった中国人ツーリストが置いていったらしき地図に

ざっと目を当してから、出掛ける。



20分足らずでポタラ宮殿前の広場までやってきた

今日はいつもよりかは雲も多いようだけど

それでも

相変わらず空が透き通ったように青い!




「今日も結構焼けるんだろうなぁ」




そう思いながらも

あえて日差しのある所を選んで歩く



ポタラ宮を眺めながら広場前を過ぎると

Y字路に出くわし、ノルブリンカ路という標識があったので

それに続く


結局

その道の先にはノルブリンカは無かったのだけれど…




ノルブリンカ路をさらに歩き続ける



ラサ市の南には川が流れていて

その川の土手に突き当たった

低めの土手を登ると

入り組んで流れてくる上流と

下流が遠くのほうまで見渡せて

とても気持ちがいい場所だった。


ちょうどその付近の高低差が少ないせいか

上流から流れてきた水は何本かの支流に別れ

横に大きく広がっていて

その幅は200m以上に亘っているように見える



遠く正面の山間に流れる川のすぐ上空には

10羽程のかもめのような真っ白な鳥が

回転しながら高度を変えて、魚を狙っているようだった


流れる水は

その水温を色で表しているかのように

透明なブルーである。


その水に触れて何かを確認したかったけど

土手のすぐ下の波打ち際は

ほんの少しだけど

多摩川の稲城あたりのにおいがしたので

それで、やめてしまった


突き刺すような明るい日差しと

下流から吹いてくる少し強めの風が心地よく

上半身だけ裸になって

しばらく、土手に寝っころがっていた



その間、地元のチベタンらしきおばちゃん3人が

土手沿いに歩いてきて、去り際に


「服を着なさい。風引くわよ」


と声を掛けてくれる。





(と、ここで今日は時間切れです)

時間が来ると電源が落ちるため

今日はこの辺でセーブしときます

続きはまた後ほど。。。







ラサ 2 カフェ編

ラサについた翌日

早速、到着報告を!

と意気込みインターネットへ


文章作成するも、先払いのシステムのため

時間が来ると途中で電源ごと落ちる仕組み。

そのため、作成途中のデータは保存されること無く

幻となってしまった。

そうなると打ち直す気力も

データーと共に消えてなくなってしまう…


そんな訳で、ようやく今日

到着報告に至った次第です。


データーの消えたラサ二日目のこの日は

同部屋のゆりちゃん、あつしくんと

近所で朝食を取ったあとホテルの前の

カフェに入った。

割と広い店内だけど、ハットを被った人や

皮のジャケットを着たチベタンの方々が所狭しと…

初めて入る人はまずその雰囲気に圧倒され

そして、おおいに気に入るでしょう。

あの雰囲気は言葉では言い表せない!


小さなグラスを持ってきて席に着いていると

でっかいやかんを持った人が注ぎにきてくれる

あたたかいミルクティーは1杯3角(5円位?)

濃厚で甘すぎないお茶をすすりながら

おしゃべり。

3人とも同じ年ってことでちょっと驚き。

さらに、住んでるところの話に…

あつしくんは大阪。

俺は東京。

当然東京のどこ?って話で稲城(いなぎ)が出てくる。

稲城の知名度は東京の中では下から数えたほうが早い。

チベット旅行してる人には

稲城(ダオチェン)がらみで割りと名前の知れてるけど

東京の稲城はねぇ…

そんな気持ちをよそに

ゆりちゃんの驚いた顔!

彼女は最近、稲城に引っ越してきたとのこと

で僕もびっくり!



「出会った人が稲城市民」


なんか運命めいた物を感じるも

何よりこの旅で稲城の話ができたことに

よろこぶ。


…そんな彼女は、翌日

シャングリラへと旅立って行った。

(続く)

ラサより

54時間というバスでの身動きの取れない

状態から開放され、

バスターミナルに降り立つと

ターミナルのスタッフだろうか

数人が駆け寄ってきて、乗客一人一人の首に

真っ白なスカーフをかけてくれ

出迎えてくれた


このバスに乗り合わせた日本人

なんと、4人。


パンダのたけさん、あやちゃん、よねくん、と僕。

みんな大理で同じ宿に泊まっていたメンバーである


たけさん、あやちゃんは

成都のSim'sゲストハウスでも一度顔を合わせていた。


バスからの景色は言うまでもなく

素晴らしいものだったけれど

ここですべてを伝えきることができないのは

ちょっと残念だ。


香格里拉を出たバスは

梅里雪山(メイリーシュエサン)や

白馬雪山(パイマシュエサン)を左手に眺めながら

一路北へ300キロ程進んでいくと

芒康(マンカン)という地の

四川省とチベットを結ぶ川藏公路に突き当たる。

ここは既にチベット自治区に入っており

これ以降の行程は公安の検問が不安材料のひとつに加わる。

一日目。バスはここまでコマを進めた。真夜中2時頃に

芒康バスターミナルに着き、そのまま朝を待つ。


もっとも、僕はぐっすり眠っていたので

バスがターミナルで止まっていたのを知ったのは

翌朝のことだけど…


二日目。

他の乗客が朝の用事を足すために

ごそごそ動き始めたため目が覚めた。

ホテルか何かの駐車場に停車しているみたいだったけど

どうやらバスターミナルらしい。

近くの小店で小龍包とおかゆで簡単に朝食を済ます。

8時半になってバスは再出発した。

ここ芒康で新たな乗客を拾ったらしく

ベットは増設され、運転席のすぐ脇のスペースにも

即席のシートが用意された。

後はひたすらラサまで

川藏公路を西へ向けて標高を上げて行くだけだ。