世界を駆け巡るgakuのBlog Paddy gaku go around world -18ページ目
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春の足音飛び越えて

湧き立つ南の島のあの光景、過ごした時間の心地よさが再び
僕の足をタイへと向かわせる…


でも、今度は自力でタイまで行ってみよう!



何にしたって泳いでいくわけには行かないから
どちらにしろ乗り物は利用する訳だけど船と陸路で行ってみようじゃないかと。



大阪ー上海ー香港ーベトナムーカンボジアータイ


ざっとこんな感じのルートだ

上海フェリーどうやら船は週に1便毎週金曜出発のようだ。

18日の出航に合わせて準備にかかる!
いざ!常夏へ

バイオグラフィー

親父は青森の片田舎から、沈没したイカ釣り漁船の借金を稼ぐ為に単身東京へ。
母は静岡から出てきて四谷に住む親友を訪ねて遊びに来た。
二人の馴れ初めは、確かそんな感じだったと思う。

そんなわけで


1978年 

    静岡県三島市に生まれる 男三人兄弟の長男
    
   1歳まで東京上野に住み
   その後、20年以上住むことになる
   自然のまだ多かった東京都稲城市に移る。



1983年  

    登戸スイミングスクールに通い始める
   多分すんなり泳げたと思う。水は怖くなかった    
     
   小1の時稲城市の水泳大会に自由形で優勝。
   エントリーは自由形だけだったけど、
   欠員の為,係員の推薦で急遽背泳ぎにも参加。
   一着。
   なんか、最初からエントリーしていた他の子に
   悪いなぁって思った。
    
   小4の頃学校の時間帯が変わり、
   府中の金子(かねこ)スイミングに移った。
   ここは皆泳ぐのが速かった
     
   金子の大会では1位を取った記憶がない。
   一つ年下の弟はセンスが良かったようで、
   選抜コースという名前のグループで、
   俺よりも遅い時間帯に年上と泳いでいた。
    
   小6くらいまで続ける。


1984年 

     姿勢が良くなる!
   との親の勧めで剣道を始める.
   何か日本的なものをやらせたかったのだろう。
  「袴(はかま)がかっこいい」
   という理由で始めることにした。
    
   毎週日曜日。
   袴が理由で始めた人間にとって
   稽古はきつく、はだしで冬の体育館は地獄 のようだった、
   すぐにでもやめたかったが
   イヤイヤ親に引きづられるようにして
   小4まで4年間も通わされた。
    
    自分でヤルと決めたからには、最後までヤル

    という、親の教えだった。



1991年 

      もうすぐ中2になるという春前に、
   以前から調子の悪かった母親が亡くなった。
   幼いながらも 本当に色々考えた。
   この時考えた事は、
   今の僕の中でも繰り返されている


   小4の頃のクラスメイトで同じように
   母親を亡くした子が2人いたが、
   人気者だった子が一変して無口な子に
   なってしまい、寂しく思っていた。
   僕はそうならなかった。


    高校時代。
    大人一歩手前の僕ら、青春時代。野球部。補欠
    先輩、後輩、素晴らしい仲間たちに出会う
    
    仕事に就く。



1998年  

   NTTパーソナルが経営不振の為
DOCOMOに合併になるとのこと。
50%の人員削減のため、
各店で働いていた2人の内
どちらかが 辞める事に。
この機会にアメリカ一周しようと
初めてパスポート取得。


同年9月 単身アメリカへ。
    
    初めての海外。
    どんなに世界が変わろうものか?とウキウキ
    したが生活システムそのものは日本と変わらず
    すべてが同じに見えた。
    
    それでも、
    広い土地に、楽しみながら生活している人
   を見ながら
    「豊かな時間の過ごし方。」
    というのを学んだ気がした。


2ヵ月半をかけて一周し、時にカナダには3度、
メキシコには2度顔を出し。
帰りの飛行機で感じた充実感に、
人生って旅なのかもと思う。
次はヨーロッパ!何て思いながら…


2001年 ヨーロッパ猛暑の年
ユーレイルパスを使い13カ国周る。

もう一度行きたい国にスペインがランクインした。


    日本帰国の後 
    冬はスキー場のホテルのレストランで
    ウェイターしながら
    仕事後はスノーボードや吹雪の中温泉に出かけたり
    飲みに行ったりしながら素敵な仲間が増えていった。


2004年  

    そんな仲間とシーズン後にタイに出かけた      
   初めてのアジア。仲間と行く初めての海外。 
    
   物価や気候や人や食べ物が
   これまでとはガラット変わり、
   また新しい世界を見つけた
   一週間の滞在の後、
   日本に帰ってきてからすぐタイのビザを取り
   今度は45日かけて南タイの島を中心に
   のんびり見て周った。


何度も行きたい国に タイがランクインした

     
   やっぱり間違いにない。
   僕にとって旅することは人生である
   と思った。
   ん?いや、まてよ?
   人生は旅だ。


いつどこで何をして誰と会って何を食べる。
全部自分の責任で決められる自由な存在。
     
別に何もしない時だって、たまにはあってもいい。
勉強でも仕事でも遊びでもメリハリ付けて
一生懸命やれば結果は必ずついてくる


そして今回 


懐かしきタイを想い、日本を出たのが春ほど近い3月のこと。
目的は4月15日からのタイ正月。ソンクラーン。水掛祭りである。

味気ない飛行機を嫌い。昔の人がそうしたように
船と汽車とバスを使い行ってみる。


駆け足で中国、ベトナム、カンボジア駆け抜け

大晦日にあたる、

4月の14日にバンコクまでどうにか辿り着き

盛大に新年を祝った。


そして、まだ旅の途中。


多分誰しもが一回は思うこと


「世界一周」


これを、僕はやり遂げたくなった。

僕がそう思うのは自然の流れだったのかも知れない。

どのくらいかかるかは分からないけど
ゆっくり地球を眺めたい。
現地の人と現地の言葉で話したい。

…そんなことを思いながら人生を行くそんな人間です。



長いのに全部読んでくれてありがとう。
     
     
最新の出来事     

2005年10月 第二の目的地。チベット、ラサ到着
2005年9月   
      中国雲南省北部、香格里拉にてパスポート
      含む荷物一式紛失

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